ファッションブランドのサイト

ファッションブランドのサイト

ヨウジヤマモトの情報サイト

ブランド「ヨウジヤマモト」のデザイナーは山本耀司、1943年、東京に生まれる。

ファッションスタイルは「アンチモードによってモードを制する」。モードの最前線で、モードを否定する服を発表する。初めてのパリコレクションではそのあまりに過激なファッション(これまでにないもので世界をあっといわせた)

ハイヒールを嫌い、メンズアイテムを好むなど基本的に山本自身の服作り対するスタンスは20数年間大きな変化は無く、その時々の流行に媚び無いコレクションを展開している。オーバーサイズなシルエットで独特なラインを作ったり、ねじれを入れたり、体型との差異や運動によって自然に変化するドレープ(ルーズなヒダやヨレ)をウールギャバジンのような光沢のある生地で躍動的に見せるのが定番。

服に使われる色は黒や白を基調とした無彩色が多く占め、コレクションが行われる時期(春夏と秋冬の年2回)にかかわらず、色使いが少ないのも特徴。

服のデザインは、彼自身の価値観や反骨精神が反映されたものが多く、その精神に共感した人は熱烈な支持者となる。山本が作り出す独特のシルエットや雰囲気を持つ服は、ファッションの枠組みを超え、芸術作品とも言える域に達しつつある。

80年代に国内外で続々と高い評価を受け、川久保玲のコム・デ・ギャルソンや三宅一生のイッセイミヤケ等と並んで『DCブランドブーム』を形成した。

1990年にはJRの新制服をデザインし、その洗練されたデザインは大いに話題となった。

最近の活動としては『BROTHER』・『Dolls』・『座頭市』等、北野武の映画作品の衣装を手がけたことでも知られている。北野は山本の服を愛用している。

2002年7月、パリ オートクチュール・コレクション期間中にショーを行う。同年、自身の軌跡を写真と文章で綴った「Talking to Myself」を発表。03年、同書籍がドイツのライプチッヒブックフェア「世界で最も美しい本展」でブロンズ賞を受賞。

山本の長女・里美(りみ)も、自身のブランド「LIMI feu」(リミフゥ)のデザイナー。

ヨウジヤマモトの経歴:

1966年 慶應義塾大学法学部を卒業後、文化服装学院、セツ・モードセミナーへ入学、
1969年 文化服装学院卒業。同年に第25回装苑賞受賞。
1972年 株式会社ワイズを設立。
1977年 東京コレクションにデビュー。
1981年 パリ・プレタポルテコレクションにデビュー。同時にYohji Yamamotoラインを開始。
1984年 株式会社ヨウジヤマモト設立。
1989年 ヴィム・ヴェンダース監督映画「都市とモードのビデオノート」に出演。
1999年 坂本龍一によるオペラ「LIFE」の衣装を担当。
2001年 北野武監督映画「BROTHER」の衣装を担当。以後の北野作品には全て関わっている。
2002年 パリ・オートクチュールコレクションの期間にプレタポルテを発表。
2003年 六本木ヒルズにY'sライン初の旗艦店をオープン。
2003年 Y-3ラインをコレクションデビュー。

ブランドリスト

アーペーセー  アレキサンダーマックイーン イヴサンローラン イッセイミヤケ 

ヴィクター&ロルフ ヴェロニクブランキーノ  エルメス  クリスチャンディオール  

クリスヴァンアッシュ  クリストフルメール  クロエ ケンゾー

コスチュームナショナル コムデギャルソン ジバンシー シャネル ジャンポールゴルチエ 

ジュンヤワタナベ ズッカ ステラマッカートニー セリーヌ   バレンシアガ 

フセインチャラヤン ヘルムートラング ポール&ジョー マルタンマルジェラ ヨウジヤマモト 

ラフシモンズ ルイヴィトン ルシアンペラフィネ ロエベ エミリオプッチ  グッチ ヴェルサーチ

フェレ アルマーニ ジルサンダー ドルチェ&ガッバーナ  ニールバレット フェンディ 

プラダ アトウ アンダーカバー ケイタマルヤマ シアタープロダクツ ジョンローレンスサリバン

タイシノブクニ ドレスキャンプ ナンバーナイン ミハラヤスヒロ ミントデザインズ 

ラッドミュージシャン  wjk  モラビト モンクレール   ヨウジ・ヤマモト